高齢化社会の課題を解決するテクノロジー「エイジテック」。欧米から広まり、日本でも注目度が高まっています。エイジテックは、高齢者や介護者の負担軽減と生活の向上を促す一方で、人ならではのふれあいやぬくもりを奪うというマイナスの印象もあり、そのイメージが、普及を妨げる一因になっていることも否めません。
これからのシニアマーケティングを設計する上でシニアとテクノロジーの関係性を構築することは避けても避けられないという思いから、博報堂シニアビジネスフォース 新しい大人文化研究所(以降、新大人研)は「エイジテックプロジェクト」を立ち上げました。
連載「幸せな人生の後半戦を支える「エイジテック」とは?」は、「エイジテック」最前線の取り組みについて、「エイジテックプロジェクト」が各領域のリーダー達にインタビューし、「喜びや幸せを運ぶエイジテックとは何か」を紐解いていくシリーズです。
第一回は、イスラエルを拠点に活動するエイジテック研究者のケレン・エトキン氏に、新大人研所長でプロジェクトリーダーである安並まりやがお話を伺いました。
◆10年で大きく進化したエイジテック
安並:
改めて、「エイジテック」の定義を教えてください。そこには、どのようなテクノロジーが含まれるのでしょうか?
Etkin:
エイジテックは、専門的には「ジェロンテクノロジー(Gerontechnolgy)」と呼ばれています。ジェロントロジー(老年学)とテクノロジー(技術)が交差した、比較的新しい研究分野です。
クルマやコンピュータ、カメラまで、テクノロジーという言葉自体が非常に多くのものを含むわけですが、その中で私が「エイジテック」として注目しているのは、高齢者や介護従事者のニーズや課題に合わせて設計されたデジタルソリューションです。
高齢者の家族からプロの介護士、在宅ケアサービス会社、シニアリビング(高齢者向け住宅)のコミュニティ、高齢者向けのサービスを提供している医療機関まで、高齢者に関わる人々のために作られたテクノロジーは、すべて「エイジテック」だと私は考えています。
安並:
エイジテック市場は、どのように発展してきたのでしょうか?
Etkin:
ほんの10年前、高齢者向けのテクノロジーと言えば「パニックボタン」くらいしかありませんでした。高齢者が転倒したり、急病になったりしたときに救助を呼ぶための緊急通報装置です。
それが今では、転倒を自動的に検知し、通報するセンサーやウェアラブルデバイスが開発されましたし、VRデバイスを使って高齢者の孤独を癒やしたり、回想法(昔の経験や思い出を語り合うことで精神を安定させる心理療法)やリハビリが可能になりました。
こうした10年間における本分野の成長は、一般的なテクノロジーの発展があったからこそ実現したものに他なりません。VRなどの新しい技術が登場したから、それを高齢者の問題解決のために活用しようと取り組む人々が増えてきたのです。
テクノロジーと言えば若い人のものというイメージがありますが、高齢者がテクノロジーから受けることのできる恩恵は膨大なものですし、実際に高齢者向けに活用していこうという動きが加速しているのはすばらしいことだと思います。
◆高齢者自身が製品開発に関わることが重要
安並:
今の世界的なエイジテック市場の概況を教えてください。
Etkin:
まず、エイジテック領域に参入するスタートアップの数がかつてないほど増えていることが挙げられます。また、それに伴いこれらのスタートアップに投資したがるファンドも増えています。
また、すでに数々の起業を経験した人々が、エイジテックの領域に参入するケースが多い為、"成熟した"起業家が多いのも特徴です。
彼らは起業当初からしっかりとしたビジネスモデルを描いている上に、エイジテックの商品開発のプロセスに、高齢者自身が関与することの重要性を非常によく理解しています。これは必要不可欠な要素で、20代、30代の若いプロダクトデザイナーや開発者だけに業務を委ねると、当事者達が本当に使いたいものは出来上がってこないものなのです。私も研究開発を重ねる中で身をもって経験しています。
かつてのエイジテックのスタートアップは創業者の個人的な経験をモチベーションとして誕生したものが少なくありませんでした。創業者が自分の祖父母が何かに悩んでいるのを見て、「自分の手でその問題を解決しよう」と会社を立ち上げるまではいいのですが、必ずしも市場調査をしたわけではなく、いかにマネタイズするのかを考えたわけでもないため、事業としての成長がなかなか見込めなかったのです。
ですから、今になって経験や知識が豊富な起業家の参入が増えているのは、業界全体にとってもプラスになることだと歓迎しています。
◆高齢者向け「ギグ・エコノミー」プラットフォームの必要性
安並:
欧米やイスラエルのエイジテック市場では、具体的にどのような分野のテクノロジーに注目が集まっているのでしょうか?
Etkin:
数億ドル規模以上の資金調達に成功したスタートアップを見ていると、介護にフォーカスした企業が多いですね。
例えば、アメリカの「Honor」は、在宅介護を必要としている高齢者と、介護士のマッチングを行うサービスです。イギリスでは、介護士の業務をサポートするソフトウェアを提供する「Cera Care」の勢いがあります。いずれも10億ドル以上の資金を調達している「ユニコーン企業」です。
また、フィンテック関連のスタートアップにも注目しています。言うまでもなくフィンテックは成長分野ですが、高齢者にとっても大きな可能性を秘めています。
最近では60代で退職し、90代まで生きる人も少なくありませんが、誰もが30年間働かずに暮らせるほどの貯金があるわけではありません。医療費などの出費もかさみますし、高齢者をターゲットにした詐欺もあります。そこで、高齢者向けに資産運用のサポートを行う会社が増えているのです。
退職後にパートタイムで働くという選択をする人も、今後はもっと増えていくでしょう。近年注目されているギグ・エコノミー(インターネットを通じた単発の仕事でお金を稼ぐ働き方)は、高齢者が自分なりのペースで働き続けるためのツールになり得ます。
テクノロジーの発達とともに、インターネットを介して仕事を見つけることが容易になり、単発の仕事で経済が回るという状況がより強くなってきました。また、以前は企業が正社員を雇って実施していた業務も、フリーランスで働く個人に外注することが多くなってきました。
イスラエルには、特にユーザーを高齢者に絞ったギグ・エコノミーのプラットフォームである「sÀge」があります。高齢者がそれぞれのスキルを売りに出すことができるサイトで、元シェフが料理を教えたり、ガーデニングが趣味の人が庭師になったりと、自分のやりたいことや得意な分野で収入を得る方法を見つけています。
このような働き方は、単に収入面での不安を解消するだけでなく、高齢者の"生きがい"としても大きく貢献するはずです。
◆「デジタルリテラシー教育」に注力せよ
安並:
テクノロジーが高齢者に多大な恩恵をもたらすことは間違いありません。しかし、当の高齢者たちの中には、なかなか新しいテクノロジーを受け入れられない人もいます。彼らに対して、どのようにテクノロジーを広めていけばいいでしょうか?
Etkin:
第一に取り組むべきは、高齢者のデジタルリテラシー教育です。
アメリカやイスラエルでは、高齢者がテクノロジーの使い方を学べる場所が、公的なものも含めて多数設けられています。コンピュータ、スマートフォン、ZOOMなどのビデオ通話、ネットショッピング、ネットバンキングなどの使い方を知ることは、高齢者にとって非常に大きなステップになります。
また、高速インターネットに接続できる環境を万人に提供することも重要です。日本では馴染みのない問題かもしれませんが、アメリカやヨーロッパの農村部では、高速インターネット回線が使えないか、利用料金があまりに高額で、一般の人の手に届かないといった地域がまだたくさんあります。
こうした格差を解消し、すべての人がデジタルリテラシーを身につけた状態で、不便のないインターネット環境を手に入れることが、私たちの社会が目指すべき最低ラインです。
私は現在、イスラエルにあるデザインエンジニアリング系の大学のひとつで、多ジャンルにまたがるエイジテックの研究開発ラボを立ち上げているところです。そして、若いデザイナーやエンジニアを対象に教育を行っています。
こうした活動を広く展開していくには、より多くの資金が必要です。高齢者向けの製品やサービスを開発することの重要性を、より多くの起業家に伝えていくことはもちろんのこと、政府や非営利団体にも働きかけていかなくてはなりません。
政府や非営利団体は、デジタルデバイスやテクノロジーを使ったサービスに手が届かない高齢者に代わって、これらの機器を購入することができます。1体1000ドルもするロボットは、多くの人にとっては贅沢品ですが、行政が購入して高齢者に貸与すれば、本当に必要としている人の手に届けることができます。
◆高齢者がデジタルに「つまずく」ポイント
安並:
高齢者のデジタルリテラシーの向上という観点では、実際にどのような取り組みがなされているのですか?
Etkin:
アメリカでは、世界最大の高齢者団体AARPに属する「シニアネット」や「OATS(Older Adults Technology Services)」といった組織が、高齢者向けの講座を設けています。以前は対面で授業が行われていましたが、今ではほとんどの授業がオンライン化されています。
また、「GetSetUp」「Candoo Tech」「Carevocacy」など、高齢者向けのデジタル教室を展開している営利企業も複数あります。
イスラエルでは、講師が個人で教えていることがほとんどです。政府が資金を提供し、非営利団体が運営している教室もあります。
高齢者に特化してデジタルリテラシー教育を行っている組織は、彼らの「弱点」を心得ています。何年もかけて蓄積してきた知見から、高齢者がどこで躓くのかをよく知っていて、効率よく教える方法もわかっています。だからこそ、これほど成功しているのです。この分野は、これからも右肩上がりで成長するでしょう。
安並:
高齢者の「弱点」とは何でしょうか? 彼らにも使いこなせるようなテクノロジーを開発する際に、留意すべきポイントはありますか?
Etkin:
やはり重要なのは、UXを高めることです。それこそプロダクトから得られる第一印象だけで、高齢者が使うのを諦めてしまうケースもあります。
少し前に、私のウェブサイト「ザ・ジェロンテクノロジスト」に、高齢者心理学の専門家であるミハル・ハルペリン・ベン=ズヴィ博士らが「フィンテックのUXデザイン」に関する論考を寄せてくれました。
博士らは、高齢者の目と手元の衰えを、開発者はもっと考慮に入れるべきだと提言しています。例えば、スクロールで生年月日を選ばせたりするUIは、指先がふるえる高齢者にとっては非常に使いづらいものです。こうした"細部"をおろそかにしないことで、高齢者にとってテクノロジーはもっと受け入れやすいものになるでしょう。
◆テクノロジーがもたらす「幸福」とは
安並:
テクノロジーにはどうしても"人とのリアルなふれあいの対極にある冷たいもの"というイメージがつきまといます。便利なだけではなく"幸せや喜びをもたらす"テクノロジーとは、どのようなものだと考えますか?
Etkin:
テクノロジーによって、ユーザーが他の方法では達成できなかった目標を達成し、より良い自分になったと感じることができるのなら、それが"幸せや喜びをもたらす"ということなのではないでしょうか。
例を挙げてみましょう。最近ではYouTubeやInstagram、TikTokなどで圧倒的な支持を得ている、年配のインフルエンサーもいます。彼らは自分がネットに公開したコンテンツが何百万回も再生され、多くのフィードバックを得ることに喜びを感じていますが、それはテクノロジーがなければできなかったことです。
また、テクノロジーがコミュニケーションや心理的なつながりをもたらす側面もあるでしょう。
私がかつて開発に携わった「ElliQ」というロボットは、あなたに昨夜はよく寝られたか、気分はどうかと尋ね、気分が悪いときにはジョークを言ってくれます。それはとても楽しい体験です。
日本にも「パロ」というペット型のロボットがありますね。家でペットが飼えなくても、ペットの代わりにロボットに触れることが、孤独感やストレスの低減、バイタルサインの改善などにつながるという研究はたくさんあります。
テクノロジーが"冷たい"ものであることは、一面では事実でしょう。生まれたばかりの孫の姿をZOOMの画面越しに見るのと、実際に自分の手で抱き上げるのが同じ体験であるはずはありません。
とはいえ、ひと昔前なら、遠い外国で生まれた孫に会うには飛行機に乗るしかなく、さもなければ声を聞くだけで我慢するしかありませんでした。それを考えれば、テクノロジーは人と人を隔てるものではなく、人と人を近づけ、より人間らしい経験をシェアさせてくれるものだと考えることができます。
さらに言えば、その経験を手に入れるためなら、高齢者もすんなりとテクノロジーを受け入れられるのではないでしょうか。例えば、イスラエルではWeChatが家族のコミュニケーションツールになっていて、孫の写真を見たいがために"スマホデビュー"を果たしたおじいさんおばあさんも少なくありません。
そんな"つながりたい"という思いの先に、エイジテックと高齢者の幸福な関係があるのだと信じています。
【取材後記~ケレンさんのインタビューを終えて】
今回のケレンさんの取材を通して、日本におけるエイジテックについて考えるためのヒントをいくつか得られたのでご紹介します。
生活者視点からぶれない設計・開発
高齢者向けのテクノロジーこそ、生活者(ユーザー)の視点に徹底的に立った上で設計する事が大切であると改めて確認できました。
デジタルリタラシーというと知識や情報量ばかりに目が行きがちですが、シニア世代の目や手といった身体の衰え、デジタルを苦手とする世代特有の心の機微までも確実に捉えていきたいところです。博報堂シニアビジネスフォースは「エイジングエネルギー会議」というシニアとの共創プラットフォームを開発しており、生活者の声を常に聴きながら開発するスキームも用意しています。本プラットフォームを活用しシニアの真のニーズを外さないようにしたいです。
エデュケーションの重要性
生活者視点の設計・開発は、シニアのデジタルリタラシーを高めるための活動とセットで行うことが大事なポイントであることが確認できました。
カスタマージャーニーを設計する時に購入をゴールとしがちですが、加齢に伴い体力や気力が低下している為、自力で使いこなすまでに多くのユーザーがドロップアウトしてしまう場合があります。購入までがゴールではなく、どのようなエデュケーションを行えば彼らにデジタルの恩恵をフルに受けてもらえるのかもジャーニーに組み込んでいくことが大切だと思います。
つながる喜びを広げる・深める
ケレンさんが「海外では、多くのシニアがWeChatでデジタルデビューを果たしている」と語っていたように、日本でもLINE等のチャット機能を使いこなしたいという動機が、スマホにスイッチする大きなきっかけのひとつになっています。
加齢やコロナ禍で"つながる"機会が狭まる中で、テクノロジーは、体験を広げたり深めたりする人生後半戦を幸せに生きる為の欠かせないツールになることは間違いありません。人とつながるための方法の多様化や、よりリアルに感じられる体験へのニーズは今後高まると考えます。
以上を大切にしながらシニアとテクノロジーの関係性を構築することが大切になってくるのではないでしょうか。
次回以降もエイジテックの現場の方々に様々な観点から、ご意見を聞いていきます。ご期待ください。
Keren Etkin(ケレン・エトキン)
世界のエイジテックのエコシステムに関する情報を提供するメディアプラットフォームTheGerontologist.comの創始者。エイジテックを体系的に学べるオンライン授業も併せて提供。本領域におけるスタートアップ企業のメンター兼アドバイザーであり、高齢化社会において最も影響力のある人物の一人にも選出された。講演者としても高い人気を博している。2021年12月には著書「The Age Tech Revolution(エイジテック革命)」が発売された。
安並 まりや
博報堂シニアビジネスフォース 新しい大人文化研究所所長
2004年博報堂入社。ストラテジックプラナーとしてトイレタリー、食品、自動車、住宅・人材サービス等、さまざまな業種のマーケティング・コミュニケーション業務に携わる。15年より新大人研のマーケティングプラナー兼研究員として、シニアをターゲットとしたプラニングや消費行動の研究に従事。19年5月、当研究所所長に就任。共著に『イケてる大人イケてない大人―シニア市場から「新大人市場」へ―』(光文社新書)